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〜ひとり時間をじっくり楽しむ話のタネ〜

ホーロー看板
〜昭和レトロのノスタルジックな役者たち〜
「金鳥渦巻」

ひとり時間に、じっくり古いものに思いを馳せてみるのは楽しい。これは、レトロブームの立役者、昭和レトロな看板、つまりホーロー看板を愛でる記事である。
菱形、鶏の頭、と聞くと、もうこのホーロー看板を思い出さずにはいられないだろう。視覚的インパクトが絶大なこの看板。そう、金鳥の渦巻蚊取り線香の看板である。夏の風物詩の看板である。

昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」紹介
ホーロー看板・金鳥渦巻(大日本除虫菊)。本物の看板で細部まで状態の良いものは、今ではなかなか見かけることができない。ホーロー看板は、経年劣化の問題だけでなく、看板荒らしに剥ぎ取られ、町の中から姿を消していく深刻な問題にも直面してきた。もし飾って懐かしさを楽しみたい場合は、個人的に画像をポスターにしたりして楽しもう。古い家屋や町中に残る看板をもし見かけたら、ぜひその看板は景色込みで大切にしてあげよう。ー「Wikipedia ホーロー看板」
昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」概要
看板名称:金鳥渦巻
メーカー:大日本除虫菊
製作使用:1902(明治35)年〜80年程
宣伝商品:渦巻型蚊取り線香
出演役者:金鳥香の鶏
骨董価値:20,000〜25,000(市場相場)
昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」歴史
大日本除虫菊より発売された「金鳥:渦巻型蚊取り線香」の宣伝目的として、1902年(明治35年)から、1985年(昭和60年)頃までの約80年の間、製作使用されたもの。
昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」特徴
正方形を斜めに使った菱形の看板に、上方に鶏の頭のロゴマーク、一番面積の広い中央に大きく赤い文字で「金鳥」と書かれ、下方に渦巻線香が描かれている。鶏の首元には、創業者の「上山」の判が描かれている。背景色は水色であり、赤い文字とのコントラストが見る者の目にこの看板を焼き付けた。初期の頃は、金鳥の文字の下に「かとりせんこう」の文字が書かれ、後に線香から立ち昇る白い煙の絵が描かれるようになった。実際に見に行くなら>>「昭和レトロに会える場所:旅のしおり」
看板標準サイズは、高さ91cm×幅91cm×厚さ1mmである。(※ 菱形の場合 高さ127cm×幅127cm×厚さ1mm)
和装にバシッとキマる!
昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」追記
看板は、美空ひばりが宣伝した1967年(昭和42)の縦型長方形のものや、短冊型のものも存在する。また、渦巻線香の看板は多くの場合、後の1934年(昭和9年)に発売された液体噴霧式殺虫剤「キンチョール」の看板と共に貼られることが多かった。キンチョールの看板も菱形が主だが、やはり縦型長方形のものや短冊型のものも存在する。キンチョールの看板は、金鳥渦巻とは対照的に背景色が白で、この点でも、隣に飾られる金鳥渦巻とのコントラスト効果により、視覚効果を高めた。尚、キンチョールの文字の体裁は製造時期によって異なる。
昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」雑学
金鳥渦巻とキンチョールの組み合わせの看板は、全国各地に実に8000組ほど貼られ、多くの人の記憶に菱形のインパクトを残した。ところで、金鳥渦巻線香の前身は、棒状の世界初の蚊取線香「金鳥香」(1890年《明治23年》発売)であり、金鳥香のホーロー看板も存在していた。ただし、まだ菱形看板ではない。金鳥の鶏マークは、この金鳥香の時から始まった。
ちなみに金鳥のロゴマークの鶏の意味は、「鶏口となるも牛後となるなかれ」という故事成語に由来し、先端を行く高い品質への決意が込められている。興味深いことに、大日本除虫菊(1919年《大正8年》創業)の創業者上山英一郎が、世界初の蚊取線香を作るきっかけとなったのは、アメリカの植物会社社長H・E・アモアから殺虫効果のある除虫菊の種苗を譲り受けたことだが、その社長を紹介したのは、應義塾大学の恩師、福澤諭吉であった。ー「Wikipedia 大日本除虫菊」
ガソリン0円で走る!
昭和レトロな看板「金鳥渦巻香」懐古
夏休みに祖父母の家で過ごした想い出。うちわに浴衣姿の女性や、花火の上がる夏の日の想い出。ワクワクしたり、切なく感じたり、いろいろな想い出が込み上げてくる看板である。…日本の夏!金鳥の夏!
AIが発達した今だからこそ
AIでは生成できない、修復もできない
味のあるホーロー看板を眺めていたい
あなたのお気に入りの場所
思い出の場所には
歴史の染み込む
ホーロー看板は残っているだろうか
わたしたちの時代を
見守ってくれた
静かな役者に
ありがとうを伝えよう
ー
ホーロー看板に会いに行く。>>「昭和レトロに会える場所:旅のしおり」別の記事>>「旅費を抑えたい人の航空券予約」
昭和レトロのノスタルジックな役者たち〜

