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〜ひとり時間をじっくり楽しむ話のタネ〜

昭和の懐古録
〜時代を築いた昭和レトロな雑貨たち〜
「ローメンコ」

ひとり時間に、じっくり古いものに思いを馳せてみるのは楽しい。これは、昭和の玩具「ローメンコ」を通して昔を懐かしむ、昭和の懐古録である。
1980年代末期(昭和60年代)子供たちの間で、メンコはギリギリ遊ばれていた。中でも、角型ではなく丸型で、とても小さなサイズの「ローメンコ」と呼ばれる種類のものが流行っていた。

昭和レトロな玩具「ローメンコ」予備知識メモ
「ローメンコ」と言う名の由来は、製造元が明らかにしていないのでハッキリとしたことは分からないが、メンコに蝋が塗られていることから来ていると思われる。つまり漢字で表記するなら「蝋面子」と言うことになる。当時のメンコは、多くが無版権で製造されており、地域の小規模な業者が製造を手がけていたことが多かったため、現時点で信頼性の高い公的資料や文献による詳細な記録で確認はできないが、ローメンコは、紙製のメンコによる遊びが最盛期だった1950年代(昭和中期ごろ)に登場したと推測される。
このメンコは多くの場合、小銭の束のように束ねられ、側面を蝋で固めた上で紙に包まれ、一束5円〜20円という価格で販売されていた。メンコの製造元は、玩具メーカーに限らず、駄菓子屋メーカーや地方の紙製品業者も関わっており、代表的なメーカー名としては、天田玩具製作所などがあった。ー「ensky(元・天田玩具製作所)」
昭和レトロな玩具「ローメンコ」その出回り方
販売用の箱や包み紙に表記されていた「ローメンコ」及び「ロー面子」という呼び名は、子供たちの間では少し呼びづらく、「ローメン」とだけ呼ばれることも多かった。(以下「ローメン」と呼称する。)また、当時それぞれの地方でいろんな呼び名もあった。主に、その遊び方に由来していたが、この記事を執筆している筆者の近辺(九州地方)では、「ピンチョコ」、もしくは「パッパ」と呼ばれていた。
ローメンのサイズは、メンコの中でも一際小さく、直径は約2cm〜3cmほど、厚さは一般的なメンコよりも薄めで、約1mmほど、100円玉硬貨ほどのサイズの、とても可愛いメンコだった。子供たちとしても、ローメンをたくさん持っていると、お金をたくさん持っているかのように得意気になった。メンコは昭和の時代に遊ばれた有名な玩具だが、残念ながらローメンに関する情報だけは、Wikipediaにも、権威ある財団法人サイトにも掲載されていない。これは当時から、メンコはメンコであり、大きさや状態の違いだけで、特別に意識されるということが無かったからだと推測される。蝋を塗られた市販のメンコがいつ発売されるようになったかなど、誰も記憶に留めなかったようだ。ー「一般財団法人 日本玩具文化財団「おもちゃの歴史」」
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昭和レトロな玩具「ローメンコ」遊びの思い出
束ねられ、蝋で固めて売られたローメンは、一枚一枚を指で丁寧に剥がして使用された。遊び方としては、蝋で滑りやすく加工された側面を指でつまんで持ち、力を加えて滑り飛ばして飛距離を競う、「ローメン飛ばし」と言った遊びが主流だった。その遊び方のイメージが、販売用の箱に描かれていることもあった。ちなみに、ローメンよりも大きく厚みのあるメンコに、「トバシメンコ」と言われるものがあり、そのメンコには、輪ゴムを引っ掛けて飛ばすための切り込みが入っていたが、ローメンにはそのような切り込みはなかった。
先述した通り、筆者の住む周辺では、ローメンは主に「パッパ」と呼ばれており、対戦相手と向き合って置いた自分のメンコに、それぞれ交代で「パッ」「パッ」と息を吹きかけて進め、「相手のメンコに乗り上げた方が勝ち」といった遊び方をしていた。そして他のメンコ遊びと同じように、勝てば相手のメンコがもらえるルールであった。朧げな記憶だが、乗り方が微かだったり、裏返って乗った場合の勝敗は無効で、その状態から相手の次の息の吹きかけにより、両者のメンコが宙を舞い、「奇跡の逆転どんでん返し」となる、という展開もあった。この様に、それぞれの地方にはそれぞれの遊び方が広がった。
昭和レトロな玩具「ローメンコ」刻まれた記憶
ローメンの入手は、自分で購入せずとも、分けてもらうこともあった。と言うのも、購入した際に絵柄が重複する(「ダブる」とも表現していた。)ことが多かったからだ。また、手持ちのメンコが無く、遊びたくても勝負ができない子たちは、代用品として牛乳瓶の蓋などを使って勝負することもあった。もっとも、蓋での参戦が認められた場合のみであるが、そのようにして、まともなメンコを増やして行く体験は、ある意味、子供時代に経験できる最初の成り上がり体験だったかもしれない。
ところで、メンコに限らず昔の玩具全般に言えることだが、描かれるイラストのクオリティーや著作権感覚は、いま考えると凄かった。無許可でキャラクターを使用して販売するのは勿論、「仮面ライダーのはずだがよく見ると違う」と言ったことや、印刷のズレ、また線や色塗りが雑なことも当たり前だった。特にローメンはサイズが小さい分、それが顕著だった。もっとも、特大メンコのように、豪華な景品クラスのクオリティーは素晴らしかったが、低コストの商品だと、雑で子供騙しの感は否めなかった。しかし「バッタもん」という言葉もあるくらい、意外に当時の子供たちはしっかり品質を見抜き、「胡散臭い玩具」として割り切って使っていた。それらの玩具も、今では昭和の時代の良い味わいとして愛されている。>>「昭和レトロに会える場所:旅のしおり」
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昭和レトロな玩具「ローメンコ」その後の歴史
ローメンはそのサイズ上、俗に「パッチン」と言われるような通常のメンコの遊び方はできなかった。それで、飛ばすか息を吹きかけて遊ぶ以外は、主に、コレクションアイテムとして愛された。1970年代(昭和後期)以降、メンコによる遊びも下火となり、ローメンの流通量も減少して行ったが、時代が過ぎた後も、この「ミニサイズのメンコ」は、シールやカードに並ぶ子供のコレクションアイテムとして度々製造され、主にお菓子のおまけなどに付属された。(※しかし、もう蝋は塗られていないので、厳密にはローメンコではなく、ミニメンコということになる。)
おまけのミニメンコとして比較的有名なのは、S&B(エスビー)食品株式会社の販売したスナック菓子「S&Bスナック」に付属された、ドラゴンボールシリーズのミニメンコだろう。このメンコの大きさは、約3cm(ドラゴンボールGTは約4cm)ほどで、ノーマルデザインに加え、子供心をくすぐる、シルバーとゴールドのデザインがあった。初期は一つのお菓子の袋に、お得にも2つのメンコ入りであった。これらのメンコもやはり、遊びで使うというよりはコレクションアイテムとして愛された。
昭和レトロな玩具「ローメンコ」おまけメンコ
おまけとしてのミニメンコ
カルビーのポテトチップスを例として、付属したおまけのミニメンコシリーズの一部を下に記す。(※ 全てではない。)
ファミコンキャラクター
(販売:1983年~1985年頃)
キン肉マン
(販売:1985年~1987年頃)
聖闘士星矢
(販売:1986年~1989年頃)
ドラゴンボールZ
(販売:1988年~1990年頃)
Jリーグ
(販売:1990年代後半~2000年頃)
妖怪ウォッチ
(販売:1995年~1997年頃)
他
ちなみに、メンコに似たおまけに、「メガタゾ」というものもあった。これは1990年代に、フリトレーが販売するスナック菓子のおまけとして付属された、八方向に切り込みの入った直径約4.5cmの丸型メンコ風の玩具だが。切り込み同士を連結させて飾ったり、一箇所有る大きな切り込み同士を噛み合わせて、弾力で弾いて飛ばしたりして遊べた。主に機動戦士ガンダムシリーズや、ワーナー・ブラザースのキャラクターシリーズがデザインされ、「元祖たこやき亭」や「マイク・ポップコーン」などのスナック菓子に封入され、こちらもコレクションアイテムとして人気を博した。
昭和レトロな玩具「ローメンコ」雑貨のまとめ
小さくて収集欲を掻き立てる、ローメンコやミニメンコに、当時の子供たちは本当にワクワクさせられた。筆者も、今でも鮮明に覚えているが、ある時、小学校で何気に覗いた上級生のクラスに、大量に袋詰めされたローメンが置かれてあり、夢が詰まったその袋に手を突っ込み、握って帰りたい、と非常にワクワクさせられた。今思えば、あれは先生に没収されたメンコたちだったのかもしれないが。ローメンコは、昭和を生きた子供たちをワクワクさせ、熱狂させた、本当に懐かしいレトロな玩具だ。機会があれば休日などに、その懐かしい玩具に会いに、昭和レトロの博物館などに行ってみよう。>>「昭和レトロに会える場所:旅のしおり」別の記事>>「旅費を抑えたい人の航空券予約」
時代を築いた昭和レトロな雑貨たち〜

